お世話になります。アッキーです。
今日は僕が神様や幽霊を信じてるっていう話をしようと思う。
宗教にハマったとかではなく、アッキー流の「視野を広く持ち続ける」術だと思ってもらえればいいかなと。
現代は「科学」が絶対視されすぎ感がある
現代って科学や技術が一昔前と比べてすごく進化してる。
世の中の現象がどんどん解明されてるし、応用して実生活に活かそうという試みもあちこちでされている。
ロケットを国家間の移動手段に使うなんて発想なんか昔は絶対出てこないと思う。
僕の生活を便利にしてくれる科学。これからも発展してより豊かな生活になることを望んでる。
けど最近は「科学」が強すぎるのではないか?と思えるようになってきた。
「科学的には・・・」はある意味宗教の表れ。
普段から冷静で理論的な人物(8割眼鏡装着)が目の前に現象に
「馬鹿な!科学的にありえない!」
という旨の発言をする。
いろんなSFやホラー系の作品で見かけるよね。
あれがモロに「科学も宗教」ってのを表してる良い例だと思う。
あの発言の趣旨って
「世間一般で科学的に証明はされてないから、この現象はあり得ない。なにか科学で証明できるタネがあるはずだ」っていうのと同義で、場合によっては「何かタネを探す」という現実逃避にもなってると思う。
そしてこういうシーンは大抵、「伝承や物語を信じている主人公」が率先することで話が進む。
もちろん作品の都合もあるが、「科学」を妄信することで
目の前の現象を受け入れずに現実逃避の理由にも使える。
これって昔の話でありがちな
飢饉や大雨の災いに対して「○○様のお怒りだ」「お供え物が足りないからだ」といって人柱を立てたりお供え物を増やしたりして収めようとする。
とやっていることの本質は大差がないように思える。
科学と他宗教の違い
じゃあ科学と他の宗教の違いって何だろうってことだけど
「日の目を浴びる回数が違う(信者数に圧倒的な開きがある)」点が挙げられると思う。
科学っていうのは子供のころからあらゆる教育を受けてきたし、新しい発見がされるたびにテレビなどのメディアでも大きく取り上げられる。
逆に○○教などは憲法とかプライバシーとか色々あってメディアや教育の場では結構腫物扱いだったりする。
そしてメディアで宗教が取り上げられるときは大抵不祥事が発生した時だ。
そうなると科学以外の宗教は怪しいイメージになりがちだし日本では顕著になる。
大事なのは「ほどほど」に信じる
必要なことは「科学的じゃない」といってやみくもに否定をしないことだと思う。
目の前で起きたことをしっかりと受け止めて現実逃避しないで思慮深く考えること。
・試験に失敗した学生が「神様へお祈りが足りないからだ」
・最近不幸続く社会人が「俺の日常生活を一挙手一投足全て科学的に分析して不幸が起きないようにしよう」
とかやっていたら怖い。
試験に失敗したなら分析して勉強する分野や方法を見直すべきだし、不幸が続くなと思ったら「運がわるいだけか?」と割り切ることも大事。
栄養素とかと同じでなんでも過剰なのはダメ、柔軟に塩梅よくっていうのが俺の結論。
本題、僕が非科学も信じる理由
証明がされていない
悪魔の証明みたいになるけど。
神様や幽霊がいないっていう証明はできない。
いるっていう証明もできてない。
けど概念は存在している
この世に存在しないものって「概念」が生まれることすらないはず。「神様」「幽霊」といった単語がこの世に生まれて現代社会まで生き残っている。これはそういったものが実在するからなのかなとも考えられる。
国語辞典とか広辞苑とWikipediaに幽霊とか神様とか理屈がつけられないような現象が現代まで残ってて漢字とかの単語で残ってるっていうのはやっぱり存在してるからかなと。
存在しないものは浸透しない
「空想で新しい存在を創造して命名」それを浸透させるのって超難易度が高い。
世の中のメディアが挙って「流行」を作るためにあれこれするが結局は廃れる。仮に流行ったとしても国語辞典などに載り後世に残る単語となると極稀になる。
なにが言いたいかっていうと現代のメディアがあの手この手で日本中に流行らせようとしても世間一般に浸透するのは難しいのに、口伝しか方法がなかった昔にもかかわらず「鬼」「霊」「神様」といった単語や存在が浸透していた。
これは声が大きい人が一瞬で日本全国に存在をばらまいたか、姿形は違えど、全国の様々な場所で目撃されていたかのどちらかと思う。
科学の証明は人間が知覚可能なものが発端
僕が大好きな本「神様とのおしゃべり」のなかに僕がハっとしたフレーズがある。
「人間は紫外線や赤外線は視認できるか?」
「人間の聴力は猫の何分の1だ?」
「人間の嗅覚は犬の何分の1だ?」
といった旨のフレーズ。
要は「人間が知覚できるのは他の動物とも比べて圧倒的に少ない」というもの。
科学は人間が生み出して証明していく学問。
だからこそ、見落としていたり、完全に見えても実は不完全なものではないか?というのを前提にしておくべきではないかと僕は思う。
「やらせ」や「編集」に対して
金銭が発生しないなら別に騙されてもいい
最近って動画や写真の加工技術が発達しすぎてて、本当の現象なのか編集なのか一見しただけじゃまったくわからない。
YouTubeとかの動画投稿サイトでも心霊系はよくあるし、一見すると本当に起きてそうな精巧なものも多々ある。
投稿者が「本当に起きた事象だから共有したい!」なのか「加工した動画でみんなを騙そう!」なのかはわからないけど、それを信じたところでこちらに損失はない。強いて言うなら時間を少し失うくらいだが、動画投稿サイトを見ている時点で大差ない。
少なくともそれらで宗教勧誘されたり、金銭を巻き上げられない限りは思考停止でエンタメとして信じてもいいんじゃないかなと僕は思う。
結局は「信じたほうが面白い」それだけ。
これだけ長々と語ったけど、僕にとっての結論は「信じたほうが面白い」これに尽きる。
人類が長年かけて様々なものを科学を使って証明してきたけど、それは人間の知覚可能な世界の中だけであって、狭い世界の中での出来事なんだよね。
不思議なことが残ってた方が面白いかな。と僕は思う。
また、僕自身も小学生の頃にひいおばあちゃんに遭遇するということを体験している。
なので僕ことアッキーは幽霊とかは割と信じるようにしている。そういった話。
あとがき
復帰一発目の記事でこんなん書くのどうかなと思ったけど、許してください。
皆さん知見が少しでも広がるのにつながればいいかなと思う。
じゃあ今回はこんな感じで終わります。ありがとうございました。